ボランティアの弊害

やしゃごの朝子です。

 

世界11か国の青年達とボランティアについて考える、本日は3回目の授業でした。

 

「ボランティア」というと、無条件に良いこと、尊いことというイメージがつきまといます。でも、やり方を間違うと、実はとても危険な行為になりかねません。

 

確かに、目の前で困っている人に何かをしてあげたいというのは純粋な奉仕の心です。その尊さを、私は決して否定しません。


ただし、これは時と場合とやり方によるのです。


そこで今日の授業では、実際に私が体験した、こんなケースを例にあげて青年達に話しました。

 

震災後3年が経ち、やっと立ち直りかけてきた街。

商店も営業を再開し、人々に暮らしが戻り始めていました。

 

そんなある日、NGOで働く私のもとに、一本の電話がありました。

 

東北から遠く離れた地方で卸売業を営んでいらっしゃるというその男性は、商品を無料で被災地に提供したいので、適切な送り先を紹介してくれないか、と。しかも、かなりの数量のお申し出です。

 

震災から3年が経ってもなお、遠い被災地へ想いを馳せる、その方の善意あるご提案にはとても感銘を受けました。が、その善意を最大限に活かすためには、どうしたらいいでしょう。

 

私は言葉を選びながら、その方にお話ししました。

 

無償での物品提供は、発災直後の緊急支援期だったら大変必要とされたこと。

 

でも今、被災地は、ようやく地域の小売店さん達が事業を再建してがんばっている段階に入っていること。

 

だからこの時期の物品の無償提供は、彼らの生業を、はからずも邪魔しかねないこと。

 

 

もし、支援したいというお気持ちがあり、

多少の手間を厭わないでいただけるのであれば・・・

 

例えば、お住まいの地域でその商品をチャリティー目的で販売し、

その売上金を、しかるべき団体に寄付するという方法はどうだろうか、と。

 

途上国での国際協力を専門事業として行っているNGO業界には、

 

DO NO HARM (害を与えないこと)

 

と言われる支援の原則があります。

 

それが善意からの支援であっても、

やり方によっては害となることがありうる。

 

「感謝や見返りを求めているわけではないから」

という気持ちは崇高ですが、それがために、相手が本当に喜んでいるのか、という確認がおろそかになる危険性をはらんでいるのです。

 

民間企業が商品を販売するときには、売れるか売れないかで、市場の評価がわかります。

 

それに対しボランティアは、相手からの評価を求めず行われることが一般的。

であるがゆえに、支援の受け手が本音ではそれをどう評価しているのか、分かりにくいのです。

 

そんな危険性を常に意識し、受け手にとって「害のない支援」を行うことは、支援を提供する側の心得であり、責任なのです。